2009年07月03日

上海人の姓

上海人の姓(苗字)上からの順番は張、王、陳、李、朱、徐、周、沈、呉、陸。沈と陸が上海特有の姓、他の姓は中国人姓の前二十番内にランクインされる。ちなみに江蘇省、浙江省の姓ランキング付は上海とほぼ同じ。

上海と北京は中国大陸において戸籍政策が最も厳しいところである。中国は人口問題を抱えるため、農村と地方都市の人は自由に大都市に移住することができない。一方で大都市の戸籍を持つ人にはいろいろな特権がある。例えば、親が上海戸籍を持つ人なら、子供が生まれた時区の社会保険局から15万円から数十万円までの援助金を得ることができる。戸籍を持つ子供は優先的に幼稚園、小学校、中学校に進学する。逆に上海戸籍を持たない人は上海の大学試験には参加できない。また一部の悪質な会社は上海戸籍を持たない社員に住宅積立金、年金を支払わないケースがある。このような戸籍問題に関するトラブルが絶えない。
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中国には都市と地方の格差が激しいため、日本、アメリカ、台湾、香港などの外国と地域への観光ビザ発行は上海など沿岸経済発展地域の戸籍を持つ者に限定される。

韓正市長の2005年政府工作報告が示す速報値によれば、2004年の全市生産総額(GDP)は対前年比13.5%増の7400億人民元、地方財政収入は24.5%増の119,7億元で、貿易輸出総額は対前年比39%増の2,800億米ドル、外資投資額は対前年比11%増の65億米ドルであった。

2009年06月13日

蓋麹法(ふたこうじほう)は、主に吟醸酒かそれ以上の

蓋麹法(ふたこうじほう)は、主に吟醸酒かそれ以上の高級酒のための方法であり、麹造りに要する時間は丸2日以上、だいたい50時間で、おおかた以下のような順番で作業がおこなわれる。

種切り まだ35℃近くの蒸し米を薄く敷き詰め、篩(ふるい)から種麹(たねこうじ)、すなわち粉状の黄麹菌を振りかけていく。終わると米を大きな饅頭のように中央に集めて布で包む。
切り返し 種切りから8 - 9時間経つと、黄麹菌の繁殖熱により水分が蒸発し米が固くなっているので、いったん広げて熱を放散させたうえで、ふたたび大きな饅頭にして包む。
盛り 翌日あたりになると黄麹菌の活動が盛んになり、米の温度も上昇がいちじるしい。そこで大きな饅頭を解き、小さな箱に米を少量ずつ小分けにしていき、この箱を決められたスペースに積み重ねて管理する。この小さな箱のことを麹蓋(こうじぶた)といい、麹蓋に米を盛りつけることからこの工程を盛りと呼ぶ。非吟醸系の酒の場合、麹蓋は使われないことも多い。
積み替え 盛りから3 - 4時間経つと、ふたたび米が熱を持ってくるので、麹蓋を上下に積み替えて温度を下げる。
仲仕事(なかしごと) ふたたび熱を散らすために米を広げて温度を下げる。
仕舞い仕事(しまいしごと) また熱を散らすため、米を広げる。これで米の熱を散らす作業は終わりという意味から仕舞い仕事と呼ぶのだが、実際上はこれが最後ではない。
最高積み替え 仕舞い仕事のあとも米の温度はさらに上がる。温度が最高になったときに、最後の温度調整のために麹蓋の上下積み替えをおこなう。温度が最高になったときに行なうので最高積み替えという。この後も何回か米の温度を見て、適宜に積み替えをして温度を下げる作業が続く。
出麹(でこうじ) 50時間ほど経過したころになると、栗を焼いたような香ばしい匂いがしてくる。これが麹ができたサインとなる。こうなったら麹室から麹を出す。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

箱麹法 [編集]
箱麹法(はここうじほう)は、蓋麹法から「3. 盛り」以降を簡略化する手法で、普通酒を中心とした酒質に用いられる。麹蓋を大きくしたような麹箱をつかって米を小分けするが、大きい分だけ一度に処理できる米の量が増え、ひいては手間やコストの低減化につながる。

床麹法 [編集]
床麹法(とここうじほう)は、麹蓋や麹箱を用いずに、麹床(こうじどこ)などと呼ばれる、米に黄麹を振りかける台で米の熱を放散させて造る方法である。普通酒を中心とした酒質に用いられる。

機械製麹法 [編集]
機械製麹法(きかいせいぎくほう)は、機械を用いて麹を大量生産できる方法。手間がかからず生産コストは抑えられるが、できる酒質には限界があるので、高級酒には適さないとされる。普通酒を中心とした酒質に用いられる。

酒母造り [編集]
酵母を増やす行程のこと。杜氏・蔵人言葉では「酛立て」(もとだて)という。

酵母にはブドウ糖をアルコールに変える働き、すなわち発酵作用があるものの、酒蔵で扱うような大量の米を発酵させるためには、微生物である酵母が一匹や二匹ではまったく不十分で、米の量に見合っただけの何百億、何千億匹もの酵母が必要となる。だが、じっさいの酵母の数を数える単位は匹ではなくcellという。

こうした状況のなかで酒蔵では、アンプルに入っている少量の協会系酵母を特定の環境で大量に育てることになる。このように大量に培養されたものを酒母(しゅぼ / もと)または酛(もと)という。

作業としては、まず酛桶(もとおけ)と呼ばれる高さ1mほどの桶もしくはタンクに、麹と冷たい水を入れ、それらをよく混ぜる。すると水麹(みずこうじ)と呼ばれる状態のものができあがる。酛桶は、最近では高品質のステンレス鋼のものが多く、どうみても「タンク」といった風体だが、醸造器としてはあくまでも「酛桶」という。

そのあと水麹に醸造用乳酸と、採用すると決めた酵母を少量だけ入れる。採用する酵母は、多種多様な清酒酵母から、造り手が目指す酒質に適すると考えるものが通常は一種類だけ選ばれるが、その酵母があまりにも強い特性を持つ場合などには、それを緩和するためにもう一種類の酵母をブレンドして入れることも多い。

上記のものに蒸し米を加えると酒母造りの仕込みは完成する。あとは製法によって2週間から1ヶ月待つと、仕込まれた桶のなかで酵母が大量に培養され酒母すなわち酛の完成となる。

酒母造りの場所は、酒母室(しゅぼしつ)もしくは酛場(もとば)と呼ばれ、雑菌や野生酵母が入り込まないように室温は5℃ぐらいに保たれている。しかし麹室に比べると管理の厳重さを必要としないので、酒蔵によっては見学者を入れてくれるところもある。酒母室のなかでは、酵母が発酵する小さな独特の音が響いている。

酒母造りの際には、タンクの蓋は開け放しの状態になるから、空気中からタンク内にたくさんの雑菌や野生酵母が容易に入り込んでくる。そのため硝酸還元菌や乳酸菌を加え、乳酸を生成させることによって雑菌や野生酵母を死滅させ駆逐することが必要となる。この乳酸を、どのように加えるかによって、酒母造りは大きく生酛系(きもとけい)と速醸系(そくじょうけい)の2つに分類される。

2009年06月09日

病原体の産生する毒素のみを予め抽出して

ある病原体の産生する毒素のみを予め抽出して、無害なレベルまで薄めたものを人体に接種し、その毒素に体を慣らすもの。厳密にはワクチンに含めないという考え方もある。また、体内に病原体を直接攻撃する抗体を作らせるわけではない。ジフテリアや破傷風などに用いられているが、近年ジフテリア・破傷風に対する生ワクチンも開発途上にあり、これらはいずれ生ワクチンに取って代わられると思われる。


接種間隔 [編集]
日本には他国では見受けられない厳密な接種間隔の遵守法則がある。まず、原則として複数のワクチンを同日接種しないこと、生ワクチンの後は4週間以上あけ、不活化ワクチンの後は1週間以上あけること。ただし添付文書には「医師の判断で必要と認められた場合には」同日複数接種も可能と記載されている。この際、日本名物として、1肢に1ワクチンというルール(アナフィラキシーが生じた場合では意味がないが、化膿菌等は含まれていた場合には、原因のワクチンを特定しやすい)を選択している医師も少なくない。更に、皮下注射の接種を上肢三角筋部にしているのもこの国特有といえよう。ただし、厚生労働省発行の予防接種ガイドラインには、諸外国と同様に皮下接種は原則として上腕伸側の皮下が指定となっている。

それでは、WHOや米国のCDCが定めるスタンダードを紹介する。希に例外はあるが、原則として、

生ワクチン同士は同日、または4週間以上あける
生ワクチンと不活化ワクチンは、どちらが先であっても、接種間隔に規制はない。
不活化ワクチン同士もまた、同時でも、いつでも接種可能である。ただし、同一のワクチンには指定された間隔がある。
免疫グロブリンと一部の生ワクチン(グロブリン製剤に含まれる抗体に依存する)には特定の間隔が個別に存在することがある。
ほかに、メーカー指定で、

経口生チフスと経口不活化コレラワクチンは8時間の間隔を開ける。
などである。このように、同日接種を行うことによって、安全性・効果(免疫応答)が変化・相乗することは無いと考えられている。

一度に接種できるワクチンの数に制限はない。理論上の計算に過ぎないが、生後2ヶ月の乳児の免疫学的限界は不活化ワクチン1000本としている文献もある。

また、同日接種の際、ワクチン同士は凡そ1インチ(2-3センチ)離れていれば問題ない。

接種部位

皮下接種:上腕伸側を中心とする領域。
筋肉内注射:満4歳未満は三角筋の発達が未熟なので、大腿四頭筋外側頭中程。それ以上の年齢では、同部位よりも三角筋が選択される。なお、臀部への筋注は吸収率や免疫応答がよろしくないので、接種してはいけない。
皮内接種:狂犬病ワクチンの変則的投与では、指定箇所がある。その他に関しても、添付文書を参照されたし。
1肢1本接種は上記免疫応答理論や接種本数の制限を受けてしまうので、受診者・渡航者の立場からは現実的ではない。また同日接種を否定することも、現実的で無いどころか世界的に観ても非常に奇妙な風習といえよう。日本で1回につき1本となっているのは、全身反応が生じた際の責任ワクチンの同定のためであると考えられるが、世界でその様な議論も出ないことも念頭に置くべきである。
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さらに、日本以外で使用されているワクチン類は、海外で生活されている邦人も東洋人も通常接種されている。海外文献や症例報告などで「日本人」「東洋人」を「要注意投与」または「禁忌」または「減量投与」と指定・提案しているものは見あたらない。よって、日本人に外国製のワクチン(WHO認定ワクチンに限定して)と接種用法などを敬遠する医学的根拠は現実的には考えられない。

治療薬に限って言うと、結核症の治療薬であるINHA、高血圧の治療薬であるカプトプリルなどにも、治療量には民族差があることが分かっている。また、結核症などの感染率にも、ヨーロッパでは東欧のロマとコーケイジアン(白人)の間では大変大きな人種民族上の違いがあることが分かっている。さらに、黒人系民族にはアンジオテンシン受容体ブロッカーの有効率が低いということも知られている。検査値では、同民族はクレアチニン・フォスフォカイネース(CK)値が、他より高値に出ることもある。また、ハンセン氏病の掛かりやすさにも人種差があることが分かっている。従って、国家が国籍登録して所属するほぼすべての民族毎に大きな差異がないかどうかを常にサーベイランスをすることが重要であるし、新規のワクチンの使用に当たっては、また、承認しない理由においても、その効果においてワクチン原産国と厳密な人種差がないことを確認したうえで、さらに臨床使用経験を積み、調査をし、その結果を速やかに反映し、中止ないしは積極的な使用の勧告をすることはすることは当然の義務であり、かつ、長期居留外国人に対しても(納税者である以上)、彼らに対する妥当な勧告をする必要がある。となると、日本よりも多民族国家である欧米各国は(治療薬では行われており、さらに職業別にも。)ワクチンの治験データを諸民族毎に分別し、発表・勧告するのが妥当であるということになる。在外国日本人が現地で日本以外産のワクチン接種を行った場合のデータの蓄積も行うのが、データ集積には有益であると思われる。

生ワクチンである麻疹ワクチンと、同じ生ワクチンである風疹ワクチンを混合した場合には、どちらの弱毒ウイルスによる免疫が出来るのかは、その生ワクチン接種理論(生ワクチン接種後は、30日後迄は別の生ワクチンを使用してはならない。なぜならば、免疫源性がこの時期は侵されるから。次の生ワクチン接種が減弱ないし無効となる)上は不明である。しかしながら、2006年から実施されているのは、実地試験で十分に試されたからであろう。また、アメリカ合衆国等では、同時接種は良く行われている。弱毒ウイルスワクチンを接種して、不顕性感染した個体からは、インターフェロンが大量に産生されるために、28日間は別の種類のウイルス感染が起こらない仕組みとなっている。従って、生ワクチンをその期間内にするのは害はないが無意味であり、逆の意味では、生ワクチン接種をして有効な感染防御の必要な程度まで抗体価が上がると期待してしまうなどの大きな誤解が生じる。従って、別の生ワクチンは、30日を越える迄は接種出来ず、同一日にするしかないのである。つまり、実利上の問題(小児の場合は発熱などの問題があり、厳密に従来の接種間隔を適応すると、すべてのワクチンを期間内で接種し終えることができないことが多い。同日接種が大変有効である)といえよう。

2009年04月25日

帝国最大の教会

ハギア・ソフィア大聖堂(アギア・ソフィア大聖堂、アヤソフィア)
初期ビザンティン建築の最高傑作。帝国最大の教会で、東ローマ帝国期には総主教座が置かれていた。コンスタンティノープルの陥落後、モスクに改修され、現在は無宗教の博物館として公開されている(「アギア・ソフィア」は中世以降のギリシア語読み。古典ギリシア語では「ハギア・ソピアー」)。

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ハギア・エイレーネー大聖堂(アギア・イリニ大聖堂)
初期の総主教座所在地。オスマン帝国期にはトプカプ宮殿の倉庫に改修され、建物としては現存している。
聖諸使徒聖堂
歴代皇帝の多くが埋葬された教会で、ヴェネツィアの聖マルコ教会のモデルとして知られる。現存せず、跡地にはファーティフ・モスクが建てられている。
テオドシウスの城壁
5世紀の皇帝テオドシウス2世の命によって建設された三重構造の大城壁。難攻不落を誇り、コンスタンティノープルへと攻め寄せた敵を度々撃退した。オスマン帝国期にある程度の修復が行われ、一部が現存している。
大宮殿
現在のブルー・モスク近辺にあった宮殿。「聖なる宮殿」とも呼ばれた。歴代の東ローマ皇帝が住んだ宮殿で、盛時には絢爛豪華さを誇った。現在では一部の床モザイクが残存し、博物館で展示されているほか、近年では発掘調査が進められている。
競馬場(ヒッポドローム)
首都となる以前、ビュザンティオン時代に建てられたといわれている。大宮殿に隣接しており、宮殿と競馬場の貴賓席は通路で結ばれていた。ここは、競馬(戦車競走)のほか、7世紀頃までは皇帝即位式、それ以降も凱旋式などの国家的行事の会場に使用された。オスマン帝国期にも祝祭のパレードに用いられ、競馬場としての施設は消失したが、競馬場中央に置かれていたオベリスクとデルポイから運ばれた青銅製の蛇の柱が現存している。また青銅製の4頭の馬の像があったが、第4回十字軍の時にヴェネツィアによって掠奪され、いまではヴェネツィアの聖マルコ教会にある。
ゼウクシッポス浴場
競馬場の隣りにあった、古代ローマ式の大浴場。7世紀後半の暗黒時代に打ち棄てられてしまい、後には兵舎や監獄、絹織物の国営工場などに転用されてしまった。
コーラ修道院
東ローマ帝国末期のフレスコ画で有名な教会。のちにモスクに転用され、現在は博物館として公開されている。
パントクラトール修道院付属教会
12世紀建造の教会。モスクに転用され、現存。
ウァレンス水道橋
4世紀のウァレンス帝が建設した古代ローマ時代の水道橋。補修が繰り返されて19世紀まで使われ、現在は遺跡として整備保存されている。
コンスタンティヌス1世のフォルム(広場)
元老院の議事堂などがあった。現在では、コンスタンティヌスの銅像が乗っていた円柱の一部のみが残っている。
地下宮殿
ハギア・ソフィア大聖堂そばに設けられた地下貯水池。現存。
ブルケラナエ宮殿
市内北東部にあった、12世紀以降の皇帝が主に居住した宮殿。現存しない。
コンスタンティノス・ポルフュロゲネトスの宮殿(テクフール・サライ宮殿)
帝国末期の宮殿。一部遺構が現存している。市内に現存する東ローマ時代の建築物の中で唯一の世俗建築である。

2009年04月08日

ソロ・黄金期

1980年代に入ると矢沢は黄金期を迎え、売り上げ・動員数共にロックスターとしての地位を磐石にする。70年代後半長者番付歌手部門第1位の常連となり、スーパースターとして日本ロック界の頂点を極めた矢沢は、「世界のYAZAWA」と自らを謳って次なる目標を世界制覇に定める。1980年にワーナーパイオニアに移籍。海外市場に活路を求めアメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。また、このころより、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、しがらみなどを気にせず、躊躇なく関わりを持つようになる。

古くからの友人であった大野真澄はフォークミュージックを歌う人間であったし、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同じである。以降もフォークミュージック界の人間であった西岡恭蔵を作詞に起用したり、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきらや山川啓介を作詞に起用したりしている。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズの加藤ひさしに作詞を依頼したり、ヘヴィメタルバンド、BOW WOWのギタリスト、山本恭司をツアーのギタリストに起用したりと、その姿勢は変わることがない。

1980年
米国ワーナーブラザーズに移籍。
1981年
単身渡米し、エレクトラアサイラム・レコードと契約。
9月25日、全曲英語詞アルバム『YAZAWA』全世界発売。全米での売上げ枚数は約2,000枚だった。以後主なる活動拠点をロサンゼルスに定める。
1982年
2月10日 アルバム『YAZAWA It's Just Rock'n Roll 」全米発売。シングル『ROCKIN' MY HEART』がジョージ・ハリスン、バリー・マニロウと共にビルボードに推薦曲として掲載される。
ドゥービー・ブラザーズのメンバーと共にE.YAZAWA として“来日”し、凱旋武道館ライブを果たす。
1987年
アルバム『FLASH IN JAPAN』全米発売。全米での売上げ枚数5万枚。MTVスタッフによるPV製作。後に自伝で「FLASH IN JAPAN」の印税が800万円だったと回顧。
日・米・伊合作映画グッバイ・ヒーローの音楽を担当。サントラが発売される。
1988年
アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。
東芝EMIに移籍。日本国内を重視した活動になる。

ワーナーブラザーズへ、東芝EMIへの移籍 [編集]
上記のワーナーブラザーズへの移籍であるが、その実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは単なる配給だけを行うだけの契約であった。この事からアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。また『FLASH IN JAPAN』はワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わってしまった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感をつのらせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍する事となる。

その後の音楽活動・世界での音楽活動 [編集]
1995年
ベストアルバム『BIG BEAT』香港発売。
1997年
ウェンブリー・スタジアム(英国ロンドン)で、エルヴィス・プレスリー没後20年を記念して行われたロックフェスティバル「songs and visions」にアジア代表として選ばれ、ロッド・スチュワート、ジョン・ボン・ジョヴィ、ロバート・パーマー、チャカ・カーン等と競演。世界60ヶ国に放映されるが、ロッドから最初「矢沢? 知らないね」とコメントされる。しかしゲスト紹介とともに現れたYAZAWAのパフォーマンスを8万人の観衆は快く受け入れ、ロッド自身もエンディングでYAZAWAをステージ中央に呼ぶなどし、最後には楽屋裏で「君、うまいね。エルヴィスのナンバー最高だったよ。今度いっしょにツアーやろうぜ!」とまで言わしめた。この模様をNHKがドキュメント番組"Do You Know YAZAWA?"として制作、放送した。
オーストリア首都の音楽の都ウィーンにてゲリラライブ敢行。
1999年
9月15日、横浜国際総合競技場にて50歳バースデーライブ「TONIGHT THE NIGHT! ありがとうが爆発する夜」開催。
10月、世界最大のヨットレース「アメリカズカップ」のテーマソング(「ヘブンリー・クルーズ」)を担当。
アメリカツアー敢行(ホノルル、ロサンゼルス、サンフランシスコ)。
2000年
ナラダ・マイケルウォールデンプロデュースのチャリティ・クリスマスアルバム『music of love〜for tomorrow's children〜』にスティーヴィー・ワンダー、スティング、エンヤ等と参加。
前年同様アメリカツアーを行う(サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク)。
2001年
FMフェスティバル'01テーマソング『この道の向こうに』を担当。
2002年
初のアコースティックコンサートツアー「VOICE」、デビュー30周年記念イベント「THE DAY」、ロックコンサートツアー「ONE MAN」を敢行。
2003年
ディズニーアニメ『ピノキオ』の主題歌『星に願いを』を担当し、東京ディズニーシーにてゲリラライブを行う。ディズニー社より表彰を受ける。
2004年
横浜国際総合競技場と大阪ドームで行われたロック・オデッセイに、エアロスミス、ザ・フー、ブラック・アイド・ピーズ、レニー・クラヴィッツ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズと共に参加。大トリを務める。
2005年
ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印し、ライブハウスのみでツアーを行う。
2006年
8月6日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。あまり矢沢を知らない世代にロックの原点を伝える素晴らしいライブとなった。
10月20日より武道館5回公演を含む全34公演の全国コンサートツアー(NEW STANDARD 〜Rock Opera 2〜)敢行。
12月2日、ブルーノート東京にてライヴ。
2007年
8月18日、RISING SUN ROCK FESTIVAL出演。
10月12日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2007 THE REALをスタート。12月16日には、前人未到の日本武道館100回公演を達成した。当日の公演は最初の武道館公演と同じ服装で登場した。
郵便局会社民営化企画協力第一弾として、日本武道館公演100回記念「You Say YAZAWA矢沢永吉 フレーム切手」販売。
2008年
デビュー以来はじめて、コンサートツアーもアルバム発売もしない年となる。EMIミュージック・ジャパンの契約を終了し、自らのインディーズレーベル「GARURU RECORDS」を立ち上げる。
2009年
9月19日ROCK’N’ROLL IN TOKYO DOME
後楽園球場をはじめ、ナゴヤ球場、横浜スタジアム、東京ドーム、札幌真駒内オープンスタジアム、福岡海の中道海浜公園、阪急西宮スタジアム、福岡ドーム、横浜国際総合競技場、東京スタジアム、ウェンブリー・スタジアム(ロンドン)、大阪ドーム等の大規模会場公演もある。

マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ


2009年03月24日

名鉄モ900形電車

名鉄モ900形電車(めいてつモ900がたでんしゃ)とは、かつて名古屋鉄道瀬戸線で運用された電車で、知多鉄道(現、河和線)のデハ910形として新された車両である。

1931年(昭和6年)に知多鉄道が日本車両で910?914・916?918の8両を製造したデハ910形で、全長17m級・両運転台・側面片開き2扉・車内は転換クロスシートの半鋼製ボギー車である。当初は2個パンタグラフを装備しており、車体は親会社の愛電標準のマルーン1色。知多鉄道の親会社である愛知電気鉄道常滑線との直通運転に用いられた。1943年(昭和18年)に知多鉄道が名古屋鉄道へ合併した際にはモ910形と改称、デハ910はモ915に改番され、その時車体はダークグリーンに塗り替えられ、車内はロングシート化された。

架線電圧1500V区間用の電動車として使用されたが1951年(昭和26年)に914が太田川車庫火災により廃車となり、918が914 (2代)に改番された。焼失した914は、同時に火災にあった3300形と共に3800系と同一の半鋼製車体を新製し、電装機器等を利用して3750形(後に3250形に改番)になるが、後に足回りを3730系に譲り付随車化、5年ほど築港線で使用の後廃車された。他のモ910形は1958年(昭和33年)に片運転台化され、1964年(昭和39年)には電気機器を3730系に譲り、ク2330形となる。

1965年(昭和40年)、モ600形(初代。名鉄モ600形電車 (初代)参照)の機器を使用して電装化し、架線電圧600V区間用AL電動車モ900形に改称し、瀬戸線に投入された。

翌1966年(昭和41年)3月16日、瀬戸線に特急(特急料金は不要)を運行することになり、モ900形-ク2300形の組み合わせによる3編成が特急車両に改装された(下記)。後にモ900形-ク2320形の組み合わせで4編成が同様に改装されている。特急の運行は1977年(昭和52年)2月まで行われ、同年のダイヤ改正で停車駅などはそのまま急行へ種別変更となった。


特急車両への改装 [編集]
モ900形・ク2300形・ク2320形(2321?2324のみ)は瀬戸線での特急車両として、以下のような改装を受けている。

座席のセミクロスシート化(クロスシート部分は転換式。モ907・ク2321?2323を除く)。
塗装をスカーレットに変更。さらに白帯塗装を施す。
7000系パノラマカーと同じ、逆さ富士型行先・種別表示器を取り付け。
ミュージックホーンを取り付け。

廃車・譲渡 [編集]
1978年(昭和53年)の瀬戸線の架線電圧1500V昇圧により、901・902・907が福井鉄道・903?906が北陸鉄道へ譲渡された。福井鉄道譲渡車はパンタグラフを撤去して、140形の一部(141-2・142-2・143-2)となり、2006年(平成18年)まで運行された。北陸鉄道譲渡車は両運転台化されてモハ3740形(3741?3744)となり、1990年(平成2年)まで使用された。

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2009年03月08日

コーヒー豆以外の原料を使って造られたコーヒー

代用コーヒーとはコーヒー豆以外の原料を使って造られたコーヒーを模した飲料である。

代用コーヒーのもっとも古い記録はフリードリッヒ二世統治下のプロイセンでのこと。ドイツではコーヒーが流行しビール産業が大打撃を受けた。またコーヒー豆の輸入による貿易不均衡などもあり、1777年のビール・コーヒー条例によって高い関税が掛けられることになった為、庶民は代用コーヒーを飲まざるを得なくなった。また、南北戦争中の米国や、第一次・第二次世界大戦の時にコーヒー豆の輸入が滞った地域(日本など)や、冷戦時の東欧諸国でも代用コーヒーが飲まれた。

代用コーヒーの原料としてはタンポポの根、ゴボウ、ジャガイモ、百合根、サクラの根、カボチャの種、ブドウの種、ピーナッツ、大豆、ドングリ、オオムギ、トウモロコシ、チコリ、玄米、根セロリ、パンの耳など。これらはたいてい煎ったものを粉末にし、お湯を注いで飲んだ。

代用コーヒーはあくまで代用品として考案されたものなので、コーヒーの安定供給が続いている地域・時代ではその消費量は少ない。しかし、代用コーヒーのほとんどはカフェインを含んでいないため、カフェインの摂取を避けている人がコーヒーの代わりに飲む場合がある。また大豆コーヒーなどは大豆の栄養価が評価され、健康食品として販売されている。

飲料以外の用途
コーヒーには飲む以外に様々な用途がある。

食品原料
コーヒー豆から抽出したエキスを香り付けや味付けのために用いたもの
ういろうなどの和菓子
ビスケット、パン、ケーキなどの焼き菓子
ガム、チョコレートなどの洋菓子
コーヒーゼリーなどのチルドデザート類
コーヒー牛乳などの清涼飲料・乳飲料
カルーア - コーヒー豆を使ったリキュール
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

その他
カレーの隠し味(インスタントコーヒーを使う)
染料
脱臭剤 - コーヒー豆の出し殻を使う。出し殻は応用範囲が広い。
民間療法のひとつとして、コーヒー抽出液による浣腸・洗腸が行われている。詳細はコーヒー浣腸を参照のこと。
コーヒー風呂: 焙煎した豆を荒挽きにして酵素を用いて自然発熱させた砂風呂形式の風呂、または抽出した飲用コーヒーをそのまま用いる風呂。家庭用にコーヒー粉末をティーバッグ状にして浴槽に入れる製品がある。
ネコよけ: コーヒーの出し殻を撒くというもの。ネコがコーヒーのにおいを嫌がるという言い伝えだが、効果はさほどない。

コーヒーの生豆には多糖を中心とする糖類、アミノ酸やタンパク質、脂質の他、コーヒーに含まれるポリフェノールであるクロロゲン酸、アルカロイドであるカフェイン(豆重量の1%程度)やトリゴネリン、ジテルペンであるカフェストールやカーウェオールなど、特徴的な成分が含まれている。

これらの成分は焙煎されることによって化学変化を起こし、その結果数百種類にのぼる成分が焙煎豆に含まれる。焙煎の初期にまず生豆中の水分が蒸発し、その後一連の焙焦反応と呼ばれる反応が起きる。多糖やタンパク質はこの過程で加熱分解され、それぞれ低分子の糖類やアミノ酸を生じ、さまざまなコーヒーの味と香りを生み出す。クロロゲン酸がこれらの分子と共に加熱されることで褐色色素が生じ、コーヒーの色を生み出す。この他、糖類のみの加熱により生じるカラメルや、糖類とアミノ酸によるメイラード反応なども色素の生成に関与する。これらの色素はコーヒーメラノイジンと総称される。コーヒーの揮発性成分としては約900種類の化合物が同定されている。中でもコーヒーの香りに大きな寄与をしている成分としては以下のものが知られている。甘い蜜様の香りを持つβ-ダマセノン、コーヒーの特徴的な香りを持つ2-フリルメタンチオール、トロピカルフルーツ的な香りを持つギ酸3-スルファニル-3-メチルブチル、カラメル様の香気を持つフラネオール、ホモフラネオール、ソトロン、ホモソトロン、木クレオソート様の香りを持つグアイアコール、4-ビニルグアイアコール、4-エチルグアイアコール、醤油様の香りを持つメチオナール、ナッツ様のロースト香を持つ2-エチル-3,5-ジメチルピラジン、2,3-ジエチル-5-メチルピラジン、バニラ様の香りを持つバニリンなどである。ダマセノンはカロチノイドの分解により、グアイアコール類とバニリンはリグニンの分解により、カラメル様の香りの化合物は糖類の分解により、ピラジンなどその他の化合物は糖類とアミノ酸からメイラード反応で生じるとされている。これらの分子はすべて、苦味や酸味、甘味などのコーヒーの味を決定する上でも重要である。

最終的に飲み物であるコーヒーの抽出液には、これらのうち水溶性の比較的高い成分が溶出される。抽出されたコーヒーは0.04%程度のカフェインを含むが、それ以外の多くの成分についてはほとんど解明が進んでいないのが現状である。

これらの成分はコーヒーの複雑な味と香りを生み出すだけでなく、覚醒作用に代表されるようなコーヒーのさまざまな作用の原因にもなる。

2009年02月20日

中ボスキャラクター

ファンファン(スープレックス)
「大王の逆襲」や「真・格闘王への道」で登場する中ボス。『星のカービィ 夢の泉デラックス』や『星のカービィ 鏡の大迷宮』で登場する。白い身体の象。攻撃方法は、長い鼻を活かし、リンゴやプレイヤーを投げ飛ばしたり、体を丸めて転がったりする。
ファイアーライオン(ファイア)
「大王の逆襲」や「真・格闘王への道」で登場する中ボス。『星のカービィ 夢の泉デラックス』から。その名の通り炎をまとったライオン。「大王の逆襲」の最終ステージでは2体同時に出現する。噛み付いたり、体当たりしてきたりとかなりダイナミックである。
グランドウィリー(ホイール)
「大王の逆襲」や「真・格闘王への道」で登場する中ボス。『星のカービィ 夢の泉デラックス』から。ウィリーが巨大化したものである。攻撃方法は、自ら突進してきたり、ウィリーを吐き出して攻撃する。
Mr.チクタク(マイク)
「大王の逆襲」や「真・格闘王への道」で登場する中ボス。『星のカービィ 夢の泉デラックス』からの再登場。目覚まし時計の姿をした敵。攻撃方法は、アラームで攻撃したり、音符を飛ばして攻撃する。
全体的に既存の中ボス達より体力が多い。攻撃パターンは原作に限りなく近い再現がされているが、強化された部分も存在する(Mr.チクタクの飛ばす音符の数が6個に増量、ファイアーライオンのバーニングアタックがステージの端まで飛び続ける、など)。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

バンダナワドルディ
「大王の逆襲」の最終面で登場。SFC版の「格闘王への道」に登場したワドルディと同じく体力だけは多いが、やはり吸い込みで瞬殺出来る。「格闘王」にも「ワドルディ」がバンダナを巻いて登場。SFC版と違って鈍足ながら前へ歩き時々ジャンプするので、ほんの少しだけ強化されている。
デデデ大王の側近であるらしく、会話にも登場する。

ボスキャラクター
グランドドラゴン
バトルウィンドウズの敵の一体、レッドドラゴンとの差し替えで登場した新ボス。グランド(大地)なだけに体も土色となっているが、根本的な攻撃内容はレッドドラゴンと変わらない。
ウィスビーウッズ リベンジ(Whispy's Revenge)
「大王の逆襲」1面に登場する毒々しい紫の体になった強化ウィスピーウッズ。攻撃パターンが強化されており、落下物にゴルドー、吸い込めないジャンボけむし、吸い込むとダメージを受ける毒リンゴが追加されている。口からは空気弾の他に、新たに竜巻を吐き出す。
ロロロ&ラララ リベンジ(Lololo&Lalala's Revenge)
「大王の逆襲」2面に登場する。『星のカービィ』で登場した時のように、四段の足場で登場。基本的な攻撃パターンは変わっていないが、時間が経つとゴルドーが単体で登場する。また、ロロロかラララをどちらか倒すと、残った方は移動速度がアップする。
クラッコJr リベンジ(KrackoJr's Revenge)
「大王の逆襲」3面に登場する毒々しい紫のクラッコJr。高速スピードによる体当たりやボム投下など、かなり強化されている。中ボスでありながら「真・格闘王への道」でも登場する。
クラッコ リベンジ(Kracko's Revenge)
「大王の逆襲」3面に登場する雷雲のようなクラッコ。移動スピードが大幅に上がり、新たに八方向への放電攻撃「クロスサンダー」が追加された。
飛行砲台カブーラー(Kaboola)
「大王の逆襲」でクラッコを撃破した後、マウントデデデ(デデデ大王の城)上空でカービィに襲い掛かる。第1作目『星のカービィ』から再登場のボスで、飛行船と大砲のデザインが凶悪さをイメージさせるものに変わった。「ゴルドー弾」やキラーのような大型ミサイル「カブーラー・カノン」など初登場時より多彩な攻撃を行うが、普通の砲弾は破壊可能になっている。カービィはスターシップに乗って横シューティングで戦う。

新ラストボス(四天王)
マスクドデデデ(Masked Dedede)
「大王の逆襲」におけるラストボス。『大乱闘スマッシュブラザーズX』でデデデ大王が使っていたハンマーを彷彿とさせる「ニューデデデハンマー」を携え、カービィとの長年の因縁に決着をつけようとする。メタナイトを多分に意識しているらしく、「メタナイトの逆襲」のパロディを演じ、鋼鉄の仮面をかぶって登場。対決前に(ソードではなく)ハンマーを渡してくれる(「真・格闘王」ではハンマーは投げない)。当たるとダメージを受ける電流の流れた金網に囲まれるステージで、凄まじい連続ヒット数と削り判定を誇る「デデデトルネイド」等の新技を披露。近年の弱体化傾向からは想像もつかない強さになっている。「デデデ大王」の項も参照。
ワムバムジュエル(Wham Bam Jewel)
「ヘルパーマスターへの道」におけるラストボス。決勝戦で魔神ワムバムロックを倒すと登場。ワムバム族の王で、目が三つ目になり、手がダイヤモンド状になっている。ワムバムロックの攻撃内容が強化され、指からビームを出す「フィンガーピストル」、ガード不可能の「グライドパンチ」など新しい攻撃パターンも追加された。多分に漏れず、体力が少なくなると攻撃速度が段違いになるため、隙が少なくなる。
ギャラクティックナイト(Galacta Knight)
「メタナイトでゴーDX」におけるラストボス。強大な力を持つ故に恐れられ封印された最強の銀河剣士。剣の道を究めるべく強者との戦いことを望むメタナイトが、ギャラクティック・ノヴァに頼んで蘇らせてもらった。メタナイトに似ているが、武器が西洋の騎士が持っているようなランスと盾、天使のような青紫の翼、十字型の覗き穴と角の付いた仮面、ピンク色の身体など、細かな違いはあるためメタナイトのリファイン版と思われる。攻撃もメタナイトとよく似た剣技に加え、周回するレーザービームを出す「レボリューションソード」やメタナイツのクローン(全員紺色を基調としたカラーリングに変更されている)の召喚などもしてくる。よけづらい攻撃の多いが、このボスは地面から浮いた位置をふわふわ飛んでいるため、しゃがめば通常の切り付けや、まともに食らうと大ダメージの「ハイパーラッシュ」も完全回避が可能になり、竜巻攻撃の際も予備動作中は歩いて下を回れるため、ガードするより大きく活躍する。「ムーンショト」のビームからはソードのコピーが手に入る。
マルク ソウル(Marx Soul)
「真・格闘王への道」におけるラストボスにして本作の事実上の真のラストボス。カービィに倒されノヴァに激突し、消滅したと思われていたマルクがノヴァの残骸と融合。その力を取り込んだ結果、より邪悪な存在となって蘇った。表情や笑い声などがより狂気を帯びたものへとなり果てたおぞましい姿はマルクの醜悪な本性を大きく象徴したものと言える。攻撃内容が強化されており、殆どの攻撃がガード削りかガード無効になっている。さらに体力が少なくなると、攻撃テンポそのものが上がり、ダメージを与えること自体が難しくなってくる。使ってくる技の一つである「ブラックホール」はマルクと同じく、一撃で体力を5割近く失う。
新たな攻撃手段として、『タッチ!カービィ』の最終ボス「ドロシア ソウル」と類似した攻撃パターンとして、無数のペイントボールを降らす「マルクスプラッシュ」、ガード不能な「デッドリーボウル」を繰り出す。「マルクスプラッシュ」からはペイントの能力も手に入るが、耐性を持つため吐き出して攻撃したほうがダメージが大きいほどである。
倒されると体が真っ二つに裂け、断末魔を上げて消えていくというグロテスクなシーンを見せる。

スーパーファミコン版との違い
基となったスーパーファミコン版との明確な変更点などを挙げる。ただし、前述してきた追加要素はここでは省略する。  

扱える情報量が圧倒的に多くなった事により、全体的なグラフィックの向上だけでなく、各々のキャラクターのアニメパターンが大幅に追加された。
スーパーファミコン版に存在したバグが殆ど無くなった(完全に無くなった訳ではなく、まだ幾つか残っている)。
カービィ・ヘルパーの状態を表すグラフィックがシンプルなピクトグラムに変更された。しかしスーパーファミコン版のものが完全に無くなった訳ではなく、コピー能力技の一覧表の説明文部分で流用されている。
アクション時やボス戦時にポーズにするとオリジナルでは静止画面になるだけだったが、今回は全てゲームおよびコピー説明画面に移動する。
コピー能力の説明文が全て新たに書き下ろされている。また、一部のボス戦でポーズをかけると、そのボスだけの説明文が表示される。
プラズマをコピーした時のカービィの体の色が、スーパーファミコン版ではピンクのままだったが、今作では緑色に変色するようになった。
魔人ワムバムロックの目や口など顔のパーツがそれを模した石版に変更され、外見が大幅に変わった。
各モードのオープニング、エンディングやゲーム中に挿入されるイベントデモが全て3DCGで作り直されている。なお、ゲームを完全クリアすればSFC版のデモを見ることができる。
カービィの吸い込み範囲が改善され、貫通弾を作りやすくなった。
受ける技にもよるが、ボスがダメージを受けた際に発生する無敵時間がやや延びた。これにより、単なるゴリ押しでは倒しにくくなった。
ボスの一部の挙動がスーパーファミコン版と異なっている。
ボスキャラクターの「体力減少で行動パターン変化」のタイミングが、「銀河にねがいを」では通常の場合よりも大分早まっている。
体力が0になると「その場で爆発して消える」だけだったボスにも、専用のやられグラフィックや演出が追加された。これとは逆に、ガメレオアームは登場時の演出が追加され、「背景と同化する」という自身の特徴を端的に表したものとなっている。
ガメレオアームの変色バリエーションが大幅に増えた。更にスーパーファミコン版では通常色が緑だったのに対し、今回は戦うたびに最初の体の色が変化するようになった。
洞窟大作戦のお宝「ふはつだん」の差し替えにともなってか、バトルウィンドウズの一体「おどるにんぎょう」の行動のひとつ『かくミサイルのスイッチをおした!』が、『おどるにんぎょうは じばくした!』に変更された(どちらも何の効果も無いハッタリ技)。
バトルウィンドウズ戦で表示されるメッセージのバリエーションが増えた。特にカービィが何らかの能力をコピーすると、それぞれのコピー能力の特徴に合わせて「○○をそうびした!」「○○をおぼえた!」などと表示される。
全体的にメッセージ内容がわかりやすい一般的な言葉になっている。
「銀河にねがいを」のノヴァ内部ステージに調整が加えられ、敵の発射する弾がスターシップの弾で相殺できるようになった。地形はスーパーファミコン版よりも狭くなった部分が多く、より接触する危険性が高くなった(本作、原作ともに、スターシップ搭乗時に地形に接触すると大ダメージを喰らう)。
新モードの搭載にあわせ、新規にBGMが作られた。中には過去作品のアレンジも存在する。
既存のモードにおける一部のボス戦BGMが差し替えられ、魔人ワムバムロックと、特にダイナブレイドには『カービィのエアライド』に合わせて、第1作目『星のカービィ』のキャッスルロロロのアレンジ曲が充てられた。
無敵キャンディで中ボスを一撃で倒せなくなった。
既存のBGMは、基本的に原作に極力近い再現がなされているが、SEは一部差し替えられた部分や新たに追加されたものが存在する。特にマルクの声は新規に作り直されており、声だけで数パターン用意されている。
初心者の部屋の「はるかぜとともに」はSFC版にあった説明の後に操作の練習ができたが、今作は操作の練習ができなくなっている。
スターシップを使うシーンで、CPUのヘルパーを利用することができなくなった。
メタナイトやヘビーロブスター、中ボスなど一部のボスの攻撃でカービィが吸い込むことができる「星」を出す機会が増えている。また、この「星」の攻撃判定が無くなり、さらに画面上に残っている時間も大幅に延長されているなど「すっぴん」状態で戦いやすくなった。
Xボタンで各モードのオープニングを見られる機能が無くなっている。
「はるかぜとともに」最終ステージのリングでは、スーパーファミコン版と同じく観客席にマリオとルイージ、キャサリンがゲストとして登場しているのだが、今作ではキャサリンが抜けた代わりにピーチ姫、キノピオ、ワリオがゲスト出演している。また、観客の中には『タッチ!カービィ』のプクラ、『鏡の大迷宮』のビルゲ、『エアライド』のバルーンボンバーといった過去作の敵キャラクターも他の観客に混じって登場している。
ストーンで変身できる物が大幅に増えている。
一部のコピー能力の仕様が変わっている。特に「コピー」のヘルパーであるタックのみ、キャットマグナムという溜め技が追加されている。

2009年02月04日

戸川氏(とがわし)は、戦国時代から江戸時代にかけ

戸川氏(とがわし)は、戦国時代から江戸時代にかけての武家。家紋は「三本杉」紋など。
ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

「戸川記」「戸川家譜」「備前軍記」などによると、初代・戸川秀安は母が宇喜多忠家の乳母であった関係で宇喜多氏に仕え、三村氏や毛利氏など数々の戦いで勲功を立てた。元亀元年(1570年)、宇喜多直家が謀略により金光宗高を切腹させた後の石山城(岡山城)の接収を馬場職家とともに執り行った。天正3年(1575年)には常山城主となり、2万5000石を領して、宇喜多氏第一の重臣となっていた。天正14年(1986年)頃、従五位下肥後守となり間もなく隠居した。

秀安の跡は逵安が継いだ。逵安は、若い時から備中高松城攻め、九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役など主要な合戦に参陣した。文禄元年(1592年)国政を宇喜多秀家から任されたが、文禄3年(1594年)に秀家から国政を長船綱直に代わるよう命じられ綱直に国政を譲ったものの国政をめぐって綱直と対立することが多く、慶長5年(1600年)1月、御家騒動(宇喜多騒動)により徳川家康に預けられ常陸国で蟄居した。同年の関ヶ原の戦いでは徳川軍として参戦、島左近を討ち取る軍功(早島戸川氏伝承)を立てた。戦後備中国庭瀬藩主となり2万9200石を領有しその後も大坂の陣に参陣した。弟の正安と勝安は旗本となったが、それぞれ3代、2代で断絶した。

逵安の跡は正安が継ぎ、その際に弟の安尤と安利にそれぞれ早島3400石と帯江3300石を分知した。

正安の跡は安宣が継ぎ、その際に弟の安成に妹尾1500石を分知した。

安宣の跡は安風が継ぎ、その際に弟の逵富に1000石を分知したものの、安風は延宝7年(1679年)9歳で死去し無嗣断絶で改易となったが、宗家の名跡は弟の達富が5000石の旗本(交代寄合)として家名存続することを許された。

戸川家はその後、宗家の他に安尤と安利、安成の家系が旗本として存続している。

略系譜
太線は実子、細線は養子。

戸川宗家

秀安
┣━━━━━━━━━━━┳━━┓
逵安          正安 勝安 
┣━━┳━━┳━━┓  | |
正安 令安 安尤 安利 安平 孫六  
┃   ┃
安宣 忠興
┣━━┓ 
安風 逵富

逵索

逵恒

逵邦

逵寿

逵義

逵寛

逵敏
早島戸川家

安尤(逵安の子) 

重明
┣━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓
安貞 安通(中島戸川家) 安晴(安貞の養子になる)
| |
安晴 安長
| ┃
安聡 安精
┣━━┓   |
安泰 安熈(安泰の養子になる)安論
| ┃
安熈 安清
| ┃
安昶 鏜太郎(早世・部屋住)
┃   ┃
安梯 八百次郎(安清の養子になる)

安民

安行
┣━━┓
安道 安宅(安道の養子になる)

安宅
帯江戸川家

安利(逵安の子)  
┣━━┓
安廣 安村(安廣の養子になる)

安村

村由

村眞

安章

安栄

安愛
妹尾戸川家

安成(正安の子) 

正方

逵和

逵旨

逵証

逵本

逵穀

逵利

戸川(富川) 秀安(とがわ ひでやす、天文7年(1538年) ? 慶長2年9月6日(1597年10月16日))は宇喜多氏の家臣。平助、平右衛門尉、肥後守。名ははじめ「正利」。また「通安」とも。「秀安」の名はのちに豊臣秀吉から一字拝領を受けたもの。室は鷹取備中守の妹。子に戸川達安。

なお、姓は本来「富川」であり、「戸川」を名乗るようになったのは、子の達安の代から。

母が備前福岡で宇喜多直家の弟(忠家・春家)の乳母であった関係で、直家が乙子城主となった天文14年(1545年) 頃から小姓として仕えはじめ、永禄9年(1566年)、三村家親の弔い合戦と称して三村五郎兵衛が寡兵を率いて、備前に攻め入ったときに、宇喜多忠家らとともに迎え討っている姿が見える。その後は三村氏や毛利氏らとの戦いにたびたび出陣し、武功を立てた。

元亀元年(1570年)、直家が謀略により金光宗高を切腹させた後の石山城(岡山城)の接収を馬場職家とともに執り行った。

天正3年(1575年)には常山城主となり、2万5千石を領して、宇喜多氏随一の有力家臣となっていた。岡豊前守や長船貞親と並ぶ宇喜多三老のひとりであるが、直家の信任は三老の中で最も厚かったといわれている。直家の晩年頃から宇喜多氏の国政を任されたが、直家死後、家督を嫡男の戸川達安に譲って隠居し、友林と号した。

墓所は岡山県玉野市宇藤木の常山麓にある友林堂。法名は自任斎枋授友林居士。

素性
素性は二説あり、いずれも一定の支持を受けている。

門田氏説
戸川家系譜などがこの説を採っている。父は備後国の国人の門田氏か。しかし早くに父が死去したため、母と共に美作国へ移り姉婿富川禅門の許へ寄寓した。まもなく母が備前福岡に逃れていた宇喜多興家の子(忠家ら)の乳母として奉公したことから、秀安も宇喜多直家に仕えるようになった。

能家妾腹説
寛政重修諸家譜などはこの説を採っている。父は宇喜多能家で、家臣の富川正実の元に養子に出されたといわれる。能家が島村盛実らに襲撃された際に美作国に在した正実の兄である富川禅門の元に逃れ、後に母が備前福岡に逃れていた宇喜多興家の子(忠家ら)の乳母として奉公したことから、秀安も宇喜多直家に仕えるようになった。

戸川 正安(とがわ まさやす、慶長11年(1606年) - 寛文9年5月22日(1669年6月20日))は、備中庭瀬藩の第2代藩主。父は初代藩主・戸川達安(正安は長男)。母は岡元忠の娘。正室は寺沢広高の娘。子に安宣、娘(池田薫彰室)。官位は従五位下、土佐守。

寛永4年(1627年)末に父が死去したため、翌年2月に家督を継いだ。このとき、弟たちに所領を分与したため、自分自身は2万2,500石を領している。高野山大塔造営奉行や仙洞御所造営などに功を挙げた。寛文9年(1669年)5月22日、64歳で死去し、後を子の戸川安宣が継いだ。

戸川 安宣(とがわ やすのぶ、慶安元年(1648年)?延宝2年12月27日(1675年1月22日))は、備中庭瀬藩の第3代藩主。父は第2代藩主・戸川正安(安宣は次男)。母は寺沢広高の娘。正室は有馬康純の娘。継室は溝口重雄の娘。子に安風、逵富、娘(松平政舎室)。官位は従五位下、土佐守。

寛文9年(1669年)、父の死去により家督を継ぐ。このとき、弟の戸川安成に1,500石を分与したため、2万1,000石となる。六間川の開削工事をはじめとする農政に手腕を見せたが、在位5年後の延宝2年(1674年)12月27日に27歳の若さで死去してしまった。法号は清性院覚庭円意。後を子の戸川安風が継いだ。

2009年01月21日

日本の伝統的な武術の総称である

古武道(こぶどう)とは、日本の伝統的な武術の総称である。「武術」あるいは「武芸」(武藝)と呼ばれ、江戸時代後期には「武道」とも呼ばれるようになった。大正時代より、明治以降に成立したものも含め「武道」とという名称が用いられた。現在では現代武道と区別して古武道や古流武術、古武術等と呼ばれる。

現代武道が技の錬磨以上に人間形成と体育的見地からの身体の鍛錬を目的とするのに対し、古武道は、危険であることから現代武道から除かれた技法や付随する内容(活法、薬方、呪術など)が残っている場合がある(ただし、古武道においても、禅、密教や儒学と結びついた精神修養は行われており、武術修行において精神修養などの人間形成も重視する理念は江戸時代初期には既に生まれていた)。反面、流派を伝承する者にも意味が伝わっていない動作や非合理的な内容、江戸時代に形の美観のため加えられた(華法化)動作が含まれる場合もある。

大正3年、警視総監西久保弘道は、警察訓練所での講話『武道講話』(警察協会北海道支部 1915年)において武術の名称を「術」でなく「道」でならないとした。理由は、「術」という名は、技術の上達のみに終始し、「礼儀」は無用と考えることになるのでよくない。「武」は技術でないとい観念を明確にするためという。 大正8年1月29日、西久保は、大日本武徳会の副会長と武術専門学校長になり名、称変更を主張、同年5月15日、常議員会で武術専門学校を武道専門学校に変更承認、同年8月1日、文部省認可。これ以後、武徳会各支部で「武道」を用いることとされた。

その背景について、福島大学教授の中村民雄や筑波大学名誉教授の渡辺一郎らの研究によると、武術興行などを行い堕落した(とみなされた)武術と区別するために、教育的に有用な真剣な修行という意味で「武道」という名称を用いたのであるという。[1]

大日本帝国のポツダム宣言受諾による占領で、連合国軍最高司令官総司令部による武道禁止後に復活した現代武道との区別のために古武道とよばれる。後に古流武術とも呼ばれ、近年では古武術という呼び方も使われるようになった。

なお居合道、杖道では全日本剣道連盟居合の制定居合形、全日本剣道連盟杖道の制定杖道形、に対し流派の形を古流とも呼ぶ。

歴史
日本の古武道の中に中国武術の要素を指摘する研究もあるが、その影響は一部であり、基本的には国内の風土・時代状況の中ではぐくまれたものとするのが一般的な見解である。

古代
弥生時代の倭国大乱などの戦乱の時代に鎧、剣、矛、鏃、弓、埴輪などの出土品や『古事記』、『日本書紀』など日本神話に剣など武器があるため、なんらかの武術は存在していたものと思われるが、詳細は不明である。 『日本書紀』に捔力で相手を殺したとの記述があることからこの時代の捔力(相撲とされる)が武術であったという説もある。これは蹴り技など用いていたと推測され、現代の大相撲・新相撲などとは異なるものである。 『日本書紀』の天智天皇紀には、7年秋7月「于時近江國講武」すなわち近江国で武を講じたとある。
バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

鎌倉時代
武士の道は弓馬の道とされ弓術、馬術が武士の必須の武芸で流鏑馬などが盛んに行われた。また、曾我兄弟の仇討ちで有名な『曽我物語』などにもそれまでの相撲(現代の相撲)と異なる武芸としての相撲が武士により行われたことが記述されている。この武芸相撲は後に廃れ後には相撲伝書や江戸時代初期の関口流柔術の伝書などに伺えるのみである。

外部リンク中世の相撲 ―武芸としての相撲と相撲興行の起こり

室町・戦国時代
いわゆる兵法三大源流(陰流、神道流、念流)が興った。またそれらの影響を受け新陰流や新当流、一刀流、中条流等が派生して一挙に剣の道が広まった。また柔術系の武術としては竹内流が成立した。武術は能や歌のように芸とみなされ理論の確立や深化が進められた。武術を専一に行う兵法者(ひょうほうしゃ)の道を歩む者たちが現れ、彼らのなかには自流を上覧に供したものもいた。

江戸時代 初期
古武道の様々な流派は、戦国時代において形成されたものではなく、むしろ江戸に発展した。幕藩体制のなかで各藩は指南役を設けたり、特定の流儀を御流儀として指定するなどした。

江戸時代 中期以降
長く続いた平和によって経済が発達し、町人文化が興るなかで武術は余暇の楽しみとして都市部や農村地帯で広く行われた。流派の数は幕末までに数百(あるいは千)を越えたと思われるが、明白な資料は存在しないが、19世紀になると全国で武者修行や他流試合、武術留学が流行し始め、各地の師範名をまとめたもの書物が発刊されるなどした。 様々な流儀で交流が行われ、槍術や剣術、柔術などで試合方法や試合道具が共通化していった。また、幕末の志士たちの多くが江戸の有名道場で学び、全国に人脈を広げていった例からわかるように、武術の道場は、学問所と同じように、ある意味サロン的な役目を果たすようになっていった。